碧潭看月

徒然なる言葉の羅列が意味を成すように見える、兼好法師も読んで呆れる駄文の数々。

回顧——試し書きを兼ねて。

ふと顧みたくなった。

人間というのは、異常を楽しめる生き物だと思う。その点で、感染症の流行は人々を高揚させる効果があった。しかし、昂りに酔いしれていたのは刹那とも言える短さで、すぐに抑鬱に頭を悩ませる羽目になった。

世界が変わる前、大学の一年次は散々な有様だった。希望を打ち砕かれ、「無」がその範囲を拡大した時期だった。なぜ大学に通っているのか、なぜ勉強しているのか、未来には何があるのか、あるいは未来があるのか——これらの問いは考えるだけ無駄で、世の大学生は棚にあげて生きているのだけれども、結局、私は無視できるほど忙しくなかったということなのかもしれない。だからといって、今更あの虚無感をうち棄てられるほど器用には出来ていない。

思うに、「虚無」と「絶望」は異なるもので、その隔たりは限りない。「絶望」という言葉にある何か感情的なものが、「虚無」には全くない。「絶望」が深さだとすれば、「虚無」は広がりだ。しかも、空虚な心は他の感情や感覚を併呑して、その領域に組み込んでいく。取り除こうとしなければ、不毛地帯だけが残る。この論理からいえば、一昨年の暮れには私の心は塔克拉瑪干沙漠くらい乾燥していて、清泉を求めて蜃気楼を追っていたのだろう。

だから、緊急事態宣言からの自粛という一連の動きは、少なくとも私にとっては僥倖だった。さっき書いた昂揚もあったし、何より「大学で講義を受けなくていい」というのが大きかった。「普通の」大学生——私には害毒にみえた——と同化せず、自分の生き方を追求する喜び。人間関係とか、時間感覚とか、くだらない社会的制約をかなぐり捨てて、自由に大学生という身分を演じることで、「私の」可能性が拓けると思った。

実を言うと、皐月の中頃までのことは何も覚えていない。自分のSNSの投稿を再見して、過去の行動を推しはかることが精一杯だ。虚無に苛まれていたこともそうだし、その後の衝撃が大きかったこともある。これと正反対に、神無月の少し前くらいから記憶は鮮明になる。金銭的にも、心理的にも、いくぶんかの余裕が出来たからだと思う。オンライン講義を逆手にとって旅行したりした。 この辺りで、虚無感は消えたわけでは無いけれど、その拡大を中断したのだろうと思う。

大学のゼミがはじまって真に意識の高い人々と出会ったのも、まさに秋口だった。まあ高尚な人間だと自認していたのだけれども、それがどうも正しくないとわかったのは間違いなくゼミのおかげだ。簡単にいうと、私は「絶望」した。先天的才能と後天的能力の両方に恵まれる人間はいくらでも存在する。天は二物も三物も、好きなだけばらまいているというのが実情なのだ。「能力の差は努力で埋められる」なんて言葉は欺瞞だ。人間としての出発点からして違うから、同じだけ努力しても意味がない。しかも、成功体験が推進力となって、結局のところ能力がある人間だけが効率的に成長していく。いや、こんな使い古された真理は昔から経験していたのだが、再確認したくはなかった。

かくして、虚無と絶望を両方抱えた異常大学生が誕生した。冒頭のとおり人間は異常を楽しめるから、たぶん私もこの異常に面白さを見出している。こんな文章を書いていること自体その証左だろう。私のような人間は、現実と理想の狭間に架かる細い鋼線の上で、気が狂うまで小踊りし続けるのかもしれない。

 

(おわり)